【金管バンドナビ】#4 巨匠たちが残した名作

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みなさん、こんにちは。金管バンドディレクターの河野一之(コウノ カズユキ)です。

先週の#3で迎えたブラスバンド黄金時代、産業革命で重労働に従事した労働者階級の人々にも音楽が普及しブラスバンドがより大衆化、それにより英国々内のブラスバンドの数は10,000団体を超えたとされ、英国各地で多くの人々がその演奏を聴くことができるようになりました。

これまでの#1 金管バンドの始まり, #2 金管バンドの発展とA.サックス, #3 黄金時代と続いてきた約100年の歴史。今回はこの約1世紀の間、楽器の発達、バンド構成や楽譜の形式の確立、バンド数の増加と様々な条件が満たされ、それらによって起きた現代まで通ずる”ある出来事”について今週は書いていきます。

世界で最初のミュージック・コンテスト
1853年(嘉永6年)~

黒船に乗ったペリー提督一行が日本へ来航したこの年、英国イングランドのマンチェスターにあるベル・ヴュー(地名:Belle Vue)において、世界で初めて開催されたミュージック・コンテスト(と言われている)が、The British Open Championships(以下Open)です。

現在はバーミンガム(地名:Birmingham)にあるThe Symphony hallにて、毎年9月に開催されているOpen。当時この大会の課題曲はブラスバンドのためのオリジナル作品ではまだ無く、先に存在していたオペラやオーケストラのための作品がブラスバンドのために編曲され使われていました。
(1853年開催の第1回大会課題曲は”The Heavens are telling / Joseph Haydn”、優勝バンドは未だ現存するMossley Band)

このOpenではその後半世紀以上に渡って様々な楽曲がブラスバンド用にアレンジされ課題曲として用いられました。つまり、金管バンドのためのコンテスト用オリジナル作品は長い間作曲されなかったのです。

Open各年代課題曲 Brass Band Resultより

初めてのコンテスト用オリジナル作品
1913年(大正2年)~

日本では宝塚歌劇団の前身である宝塚唄歌会が誕生した1913年、現在に繋がるブラスバンドにとっての歴史的な出来事が起きます。

それが史上初のコンテスト用オリジナル作品の誕生です。

Tone Poem Labour and Love / Percy Fletcher

ロンドン劇場の音楽監督、そして軍楽隊や金管楽器のための作品の作曲者としても活躍をしたパーシー・フレッチャーが作曲した交響詩 労働と愛。この曲は毎年10月、ロンドンにあるRoyal Albert Hallで開催されるNational Brass Band Championships of Great Britain(全英ブラスバンドチャンピオンシップス=我が国の吹奏楽コンクール全国大会のような大会)の課題曲として作曲をされました。

これまでオペラや管弦楽などの作品から編曲をした課題曲ばかり演奏されていたコンテスト業界に革新を与えたこの曲は、その後作曲業界にもブラスバンド作曲法を確立させ、その発展に多大なる貢献をしました。ちなみに2013年にはこの作品の作曲後100周年を記念し、同大会課題曲として“Of Distant Memories”(邦題:遠い想い出に)がEdward Gregsonによって作曲されました。

この世界で最初に作曲されたオリジナル作品以降のクラシック・ブラスバンド作品をご紹介します。

A Moorside Suite (1928) / Gustav Holst
(邦題:ムーアサイド組曲)

組曲惑星や、吹奏楽のための第一組曲で有名なホルストによるブラスバンドオリジナル作品。ちなみにこの録音は、ホルストの娘であるImogen Holstの指揮で演奏されたものです。

The Severn Suite / Edward Elgar (1930)
(邦題:セヴァーン組曲)

威風堂々一番や愛の挨拶などで有名なエルガーもこの頃ブラスバンドのために作品を残しています。セヴァーンとは英イングランド南西部のグロスター州にあるセヴェーン川の都市名からきており、1930年の全英大会課題曲のために作曲されました。

A Downland Suite (1932) / John Ireland
(邦題:ダウンランド組曲)

オーケストラやブラスバンドのみならず、教会音楽や室内楽曲など数々の作品を残したジョン・アイルランドの名作。この曲も1932年の全英大会の課題曲として作曲されました。

この3人の巨匠たち(Holst, Elgar & Ireland)が生み出した上記3作品は、全て全英大会の課題曲として、この大会の発起人であるJohn Henry Illes(起業家、音楽家、クリケット選手)によって依頼され作曲されたものでした。

このように19世紀後半から20世紀までブラスバンドの楽器の発達、バンド構成の確立、演奏者人口の増加、ブラスバンド記譜法の確立、コンテストの始まり、そしてコンテストやコンテスト用オリジナル作品の発展が起きました。特にこの半世紀の間はブラスバンドが最も発展し、現代に残る金管バンドの基盤となった時期と言えるでしょう。

そしてこの後現代までの100年間、「そのまま発展していきました。」と順調に進めば良いのですが中々そうはいきません。2度の世界大戦、そして元英国首相マーガレット・サッチャーによる国を二分する大事件など、地域やその地域のコミュニティに密接に繋がっていたブラスバンドは、その影響をもろに受け、当時10,000団体以上あったとされるその数を1/10まで減らします。

これまで栄華を誇った金管バンド、その現代までの残り100年、お楽しみに

今週もありがとうございました、また次週お会いしましょう。


河野一之 (Kouno Kazuyuki) https://kazuyukikouno.wixsite.com/bassjunkie/biography

洗足学園音楽大学、英国王立ウェールズ音楽歌劇大学院(PGDip)を修了。
Besson アーティスト。Sony Music Stand Up Orchestra チューバ奏者。
Nexus Brass BandRiverside British BrassImmortal Brass Eternally 常任指揮者。 東京ブラスバンド祭マスバンド総括。河野企画代表。日本ブラスバンド指導者協会理事。


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