みなさん、こんにちは。金管バンドディレクターの河野一之(コウノ カズユキ)です。
大型台風が過ぎ、ようやく首都圏にも夏らしい暑さが戻ってまいりました。一方で、熊本地震や千葉豪雨など、各地で災害が続いております。被害に遭われた方々が、一日も早く日常を取り戻されることを心より願っております。みなさまも、どうぞお身体を大切にお過ごしください。
さて、今回の「金管バンドナビ」は、20世紀前半の英国を代表する作曲家の一人、**ジョン・アイルランド(John Ireland)**を特集します。
現在は8月。筆者自身もちょうど2か月前にアイルランド作品に取り組みましたが、名曲というものは研究すればするほど新たな発見があり、時間がいくらあっても足りないほど、実に素晴らしい時間でした。
というわけで今回は、昨今の金管バンド事情にも触れながら、英国、そしてイングランドを代表する作曲家の一人であるアイルランドの作品を、じっくりと深掘りしていきましょう。
INDEX
金管バンド情報
ブラスバンドキャンプin上尾開催

2010年より静岡県浜松市で開催されてきた「ブラスバンドキャンプ」が、今年は埼玉県上尾市に会場を移して開催されました。
音楽監督兼指揮者には、ウェールズの名門・コーリーバンドの指揮者であるフィリップ・ハーパー氏をお招きし、全国から集まった約70名の参加者とともに、二泊三日にわたる充実したプログラムが行われました。
今回は筆者が主催を務めたこともあり、Immortal Brass Eternallyとともに出場したニュージーランド全国大会をきっかけに友人となった香港ブラスバンドの奏者3名も、海を越えて参加してくださいました。
日本・英国・香港から参加者が集まり、国際色豊かな環境の中で音楽を学び、交流する非常に有意義な3日間となりました。

東京ブラスバンド祭2026

2014年から開催されている「東京ブラスバンド祭」が、今年も開催されました。
今年は、マスバンドとして史上最多となる84名の奏者が公募で集結。さらに関東各地から10団体もの一般金管バンドが参加し、それぞれ趣向を凝らしたステージを繰り広げました。
約7時間にわたって行われた、日本最大級の金管バンドイベントは大盛況のうちに幕を閉じました。
年々その規模を拡大している「東京ブラスバンド祭」。今後もこのイベントを通じて、日本の金管バンド文化がますます盛り上がっていくことに期待したいと思います。

世界最大級の音楽祭『プロムス』にダイクが出演

2007年のBBC Proms初出演以来、実に19年ぶりに、イングランドの名門「ダイク(Black Dyke Band)」がロンドンのロイヤル・アルバート・ホールに登場しました。
今回は、現在世界的なユーフォニアム奏者として活躍するディヴィッド・チャイルズ氏をソリストに迎え、約2時間にわたるプログラムで聴衆を大いに沸かせました。
クラシック音楽を中心に構成される世界最大級の音楽祭「プロムス」において、金管バンドが単独で演奏するということは、単なるジャンルを越えた出演にとどまりません。
それは、金管バンドそのものが、英国のクラシック音楽文化を構成する一つの重要な音楽表現であることを、あらためて示す機会になったのではないでしょうか。
筆者自身もコーリーバンド在籍時、ウェールズで開催されたプロムスに出演した経験があります。毎年英国各地で開催されるプロムスですが、一般的なコンサートとはまた違った、英国の音楽文化を象徴する特別な雰囲気があります。
伝統的な音楽文化は、時代とともにその担い手や聴き手を失ってしまうこともあります。しかし今回のような大きな舞台での演奏が、英国、そして世界中における金管バンドの存在をあらためて知ってもらうきっかけとなり、さらなる人気と発展につながっていくことを期待したいと思います。

香港出身若手音楽家がBlackley音楽監督に就任

現在、イングランド北西部を拠点に活動するBlackley Brass Bandの新音楽監督兼指揮者に、香港出身のトロンボーン奏者、ジョイ・ウォン(Joey Wong)氏が就任しました。
23歳という若さのウォン氏ですが、これまでにBritish Brass Band Conductors’ Association(ブラスバンド指揮者協会)が主催する指揮者コンテストで3位に入賞するなど、若手指揮者としてすでに注目を集めています。
また、Vernon Building Society (Poynton) Brass Bandでは指揮者を務め、全英選手権イングランド北西地区大会で6位に入るなど、指揮者としても着実に実績を積み重ねています。
今回、イングランド北西部の伝統あるバンド、Blackleyの音楽監督に就任したことで、ウォン氏がこれからバンドをどこまで引き上げていくのか、大いに期待したいところです。
アジア出身の若手音楽家が、本場英国のブラスバンド界で活躍の場を広げていることは、日本の金管バンド界にとっても非常に刺激的なニュースです。
同じアジアで活動する音楽家の一人として、今後の活躍を応援していきたいですね。

#73 クラシックの大作曲家たちが遺した金管バンド作品③ジョン・アイルランド

ちょうど今年6月、指揮者としてお世話になった日本で最も歴史あるバンドの一つ、「The Band of the Black Colt」の皆さんとのコンサートでも取り上げた作曲家、**ジョン・ニコルソン・アイルランド(John Nicholson Ireland, 1879–1962)**をご紹介します。
金管バンドのコンテストのために書かれた最初期の重要な作品の一つとして知られる、P.フレッチャー(1879–1932)の《労働と愛》が世に出たのが1913年。アイルランドもフレッチャーと同じ1879年に生まれ、まさに金管バンドが発展を遂げていった時代、そしてその後の第一次黄金時代を生きた作曲家の一人です。
アイルランドはイングランド北西部、マンチェスターに生まれました。ジャーナリストであり新聞社の経営にも携わっていた父と母のもと、5人兄弟の末っ子として生を受けます。
しかし、14歳のときに母親を、翌年には父親を亡くします。幼少期から青年期にかけて経験したこうした大きな喪失は、その後の彼の内省的な性格や、音楽にも通じる繊細な感受性に影響を与えたともいわれています。
その後、ロンドンの王立音楽大学(Royal College of Music)でピアノ、オルガン、作曲を学び、卒業後はロンドンの聖三位一体教会(Holy Trinity Church, Sloane Street)のオルガニストを務めました。
また、母校である王立音楽大学でも教鞭を執り、後進の音楽家を育てました。晩年にはイングランド南東部のサセックスに移り、そこで余生を過ごしています。
音楽家としてのアイルランドは、ベートーヴェンやブラームスといったドイツ音楽の伝統から大きな影響を受ける一方、20世紀初頭のヨーロッパ音楽の新しい潮流にも触れ、自身の音楽語法を築いていきました。
特に、彼の作品には英国の風景や土地への強い愛着が感じられます。これは後にご紹介する金管バンド作品《A Downland Suite》を理解するうえでも、非常に重要なポイントとなります。
作品例
アイルランドの作品は非常に多岐にわたり、管弦楽曲、ピアノ曲、室内楽、歌曲、そしてもちろん金管バンドのための作品など、幅広いジャンルにわたって作品を残しています。
今回は、その中でも特に代表的な作品をいくつかご紹介しましょう。
まず注目したいのが、管弦楽作品の**《Mai-Dun》**です。
1920~21年に作曲された「交響的狂詩曲」で、アイルランドが愛したイングランド南部の風景や古代的な雰囲気を題材としています。
この作品からは、これからご紹介するアイルランドの金管バンド作品にも通じる、英国の土地や風景に対する深い愛着を感じ取ることができます。
そして、ピアノ作品からは**《The Holy Boy(聖なる少年)》**。
アイルランドを代表するピアノ作品の一つであり、彼の音楽が持つ静謐さ、内省性、そして独特の英国的な抒情性を感じることのできる作品です。
こうした作品を知ったうえで《A Downland Suite》を聴いてみると、単なる「コンクールのための金管バンド作品」とはまた違った、ジョン・アイルランドという作曲家の姿が見えてくるのではないでしょうか。
A Downland Suite
| 作曲年 | 1932年 | 労働と愛/フレッチャーが1913年作曲 |
| 作曲動機 | 全英選手権決勝の課題曲として | アイルランドにとって初めての金管バンド作品 |
| 優勝バンド | Fodens Motor Works Band | 指揮はFred Mortimer |
| Downlandとは | 作曲家が晩年を過ごしたサセックス地方の丘陵地帯 | |
| 構成 | 組曲 | 1. 前奏曲、2. 哀歌、3. メヌエット、4. 輪舞曲 |
| 編曲 | 哀歌とメヌエットの2曲がピアノ版と弦楽合奏版 | 作曲者自身による編曲 |
| 他編曲 | 弦楽合奏版、吹奏楽版(共に全曲)。哀歌のオルガン版 | 他作曲家による編曲 |
音源については、さまざまなCDやYouTubeで公開されている演奏を聴き比べましたが、筆者のおすすめは、コーリーバンドが2020年に発表したアルバム『Landscapes』に収録されている演奏です。
もちろん、コーリーバンド贔屓というわけではありません。
同アルバムには、Gustav Holstの《A Moorside Suite》、John Irelandの《A Downland Suite》、Edmund Rubbraの《Variations on the Shining River》など、英国のクラシック・ブラスバンドを代表する作品が収録されています。コーリーバンド自身も、このアルバムを「classic」と評価される作品を集めたプロジェクトとして位置づけています。
ぜひ、さまざまなバンドの演奏を聴き比べてみてください。もしみなさまのおすすめの演奏がありましたら、ぜひ教えてください。
金管バンド系サブスクリプション視聴サービスWoB Play(別サイト、英語、有料)
時代背景
1932年に作曲された《A Downland Suite》。
この作品を理解するためには、当時の金管バンドを取り巻く音楽事情にも少し目を向けてみましょう。
1913年、Percy Fletcherの《Labour and Love(労働と愛)》が全英選手権の課題曲として登場するまで、主要な金管バンド・コンテストでは、オペラや管弦楽作品など、クラシック音楽の既存作品を編曲したものが中心的なレパートリーとなっていました。
《Labour and Love》は、金管バンドのために書かれた最初期の本格的なオリジナル作品として、この流れを大きく変えた作品です。以後、金管バンドの技術的な発展とともに、主要なコンテストのためにオリジナル作品が委嘱・作曲されるようになっていきました。
そして、Fletcherの《Labour and Love》から19年。
その間には、Gustav Holstの《A Moorside Suite》(1928)、Edward Elgarの《The Severn Suite》(1930)など、英国を代表する作曲家たちが金管バンドのために作品を書くようになっていました。
その流れの中で1932年に生まれたのが、John Irelandの《A Downland Suite》です。全英選手権のために書かれたこの作品は、まさに「金管バンドのためのオリジナル作品」が一つの芸術ジャンルとして発展していく時代を象徴する作品の一つと言えるでしょう。
| 1913年 | 労働と愛 / フレッチャー |
| 1921年 | ライフ・ディヴァイン / ジェンキンス |
| 1925年 | ジャンヌ・ダルク / ライト |
| 1926年 | エピック・シンフォニー / フレッチャー |
| 1928年 | ムーアサイド組曲 / ホルスト |
| 1930年 | セヴァーン組曲 / エルガー |
| 1932年 | ダウンランド組曲 / アイルランド |
ワーグナーやロッシーニ、シューベルト、リストなどの管弦楽作品を金管バンド用に編曲し、それらをもとにコンテストで競い合っていた英国の金管バンド。
実際、1913年以前の全英選手権では、ワーグナーの《リエンツィ》や《さまよえるオランダ人》、シューベルト作品による《Gems of Schubert》、ロッシーニの《ウィリアム・テル》など、オペラや管弦楽作品の編曲が課題曲として使用されていました。
そんな流れを大きく変えたのが、1913年にパーシー・フレッチャーが作曲した《Labour and Love(労働と愛)》です。
この作品は、主要なコンテストのために作曲家へ委嘱された、最初のオリジナル・テストピースとされています。これをきっかけに、金管バンドのコンテストにおいてオリジナル作品を使用する流れが徐々に広がり、1920年代から1930年代にかけてその動きは大きく加速していきました。
そして、この流れの中で特に印象的なのが、現在の日本のクラシック音楽ファンにも比較的知られている作曲家たちが、金管バンドのために作品を残していったことです。
パーシー・フレッチャー
↓
グスターヴ・ホルスト
↓
エドワード・エルガー
↓
ジョン・アイルランド
まさに、**「クラシック音楽の作曲家が、金管バンドという媒体のために本格的な作品を書く」**という新しい時代が形成されていったのです。
この流れは単に、金管バンドのレパートリーが増えたというだけではありません。
それまでオペラや管弦楽作品の「編曲」を中心としていた金管バンドが、次第に**「金管バンドそのもののために書かれた作品を演奏する音楽文化」へと変化していく、大きな転換点**だったのです。
そして、John Irelandの《A Downland Suite》は、その流れの中で生まれた重要な一作品です。
作品
全英選手権のために作曲を依頼されたアイルランドでしたが、これまで金管バンドのための作品を作曲したことがありませんでした。それゆえ、非常に難解な依頼であったことは想像に難くありません。
全英選手権の課題曲ということで、ある程度の難易度の作品に仕上げなければなりませんでしたが、アイルランドは当時深い愛着を持っていたイングランド南東部、サセックス地方の丘陵地帯、つまりイングランドの美しい情景や田園風景を題材に作曲しました。
このことが、この曲が現在に至るまで長く愛されている理由の一つなのではないかと思います。
この組曲は、
「前奏曲」→「哀歌」→「メヌエット」→「輪舞曲」
の4楽章から構成されています。
サセックスの情景や牧歌的なイメージ、そしてイングランドの民謡や踊りなどを思わせる要素も随所に感じられ、それがこの曲の大きな魅力の一つとなっています。
最後にご紹介するのは、2曲目「哀歌」のオルガン版です。
教会オルガニストとしても長きにわたって活動してきたアイルランド自身、そして彼の作品が持つさまざまな魅力を、金管バンド版とはまた違った形で感じていただけるのではないでしょうか。
さいごに
アイルランド特集はいかがでしたでしょうか?
次回は、もう一つのアイルランドが生み出した金管バンド作品、**「Comedy Overture」**をご紹介します。
筆者にとってもとても思い出深い作品ですので、今回の記事を書く中で次回のご紹介が今から楽しみになっています。
ぜひお楽しみに!
それでは今回も最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。
河野一之(Kazuyuki Kouno)
https://kazuyukikouno.wixsite.com/bassjunkie
洗足学園音楽大学、英国王立ウェールズ音楽歌劇大学院(PGDip)を修了。
Buffet Crampon Besson, B&S並びにMercer & Barker社アーティスト。
Nexus Brass Band、 Riverside British Brass、Immortal Brass Eternally 常任指揮者。 東京ブラスバンド祭マスバンド総括。河野企画代表。日本ブラスブラスバンド指導。

