【金管バンドナビ】#5 そして現代へ

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みなさん、こんにちは。金管バンドディレクターの河野一之(コウノ カズユキ)です。

#3では金管バンドの黄金時代、そして#4で絶頂期を迎えた金管バンドですが、徐々にその勢いは低迷していきます。

2度の世界大戦、その後のかの有名な鉄の女による政策、20世紀初頭に花開いた金管バンドが時代のうねりと共にいかに現代に繋がるか、#5まで続いたこの金管バンドの歴史も最終章間近です。

2度の大戦
1914年(大正3年)~

約100年をかけ、その数を10,000団体以上に増やしたイギリスの金管バンドですが、その後2度起きた世界大戦の影響でその人口を大きく減らしました。

1914年オーストリア=ハンガリー帝国の帝位継承者フランツ・フェルディナント大公が暗殺されたことをきっかけに起きた第一次世界大戦、諸説ありますが現在の国にして70カ国以上が参戦し、この参戦国の人口は当時の世界人口の半数以上である8億人とも言われています。そんな中、英国もインドを中心とした植民地から派兵を行い、その数は900万人にのぼったそうです。(出典:AFPBB NEWS)

例に漏れず、戦争が始まると男性は徴兵をされたり、半強制的に志願をさせられ戦争へ駆り出されてしまいます。そのため、これまで書いてきた通り産業革命の重労働の中、男性を中心に成り立っていた金管バンドの世界でも、奏者が戦争へ行ってしまい、その数を減らします。

この国際的な危機に際し、Wright and Round社のマンチェスター地方特派員らが金管バンドの伝統や文化が消えないよう呼びかけました。その甲斐もあり当時マンチェスターで開催されていたBella Vue Contest(現代のThe British Openの元となるコンテスト)は、なんとか大戦中も開催を継続しました。
(出典: Music making in Machester during WW1)

戦争というものに対し、筆者自身反対の意思は変わりませんが、戦争が技術の発展を促したり、軍隊があったからこそ音楽が発展した側面も否定はできません。この当時、英国軍人であったケネス・ジョゼフ・アルフォード(1881-1945)はJ. P. スーザになぞられて「イギリスのマーチ王」と呼ばれ、金管バンドでもよく演奏される”ボギー大佐”、”後甲板にて”や”ナイルの守り”もこの頃に作曲をされました。

第二次世界大戦
1939(昭和14年)~

人類史上最大の死傷者を出した第二次世界大戦、この戦争でも第一次世界大戦同様多くの奏者たちは徴兵され、その数を減らしました。いくつかのバンドは活動を継続できましたが、コンサートやイベントは縮小され、この頃に英国で組織された民兵組織”ホーム・ガード”(日本でいう国民義勇隊)の補助として、パレードなどでの演奏を行いました。

またこの大戦期、ホーム・ガードの補助としてパレードを演奏していたバンドも、奏者が少なくなってきたなどを理由とし、徐々にホーム・ガード・バンドとして2~3バンドをひとまとめに再編されたり、実際に軍楽隊として大隊に組み込まれたり、国営消防団のバンドとなったりしました。

これらのバンドは大戦中、国防のための軍や組織の鼓舞はもちろん、一般市民のためのエンターテイメントとしての役割も担い、この期間も開催されていたコンテストでの演奏も行っていました。先述したBelle Vue Contestも継続して開催されていたコンテストの一つです。

Brassed Off
1983年(昭和58年)~

世界中に植民地を持ち、大英帝国として栄華を誇ったイギリスも2度の世界大戦によってその国力を大きく衰退させ、植民地であったインド、パキスタン、スリランカ、ミャンマーやマレーシアの独立を承認、さらにその後、アフリカやアラブの植民地、そして1997年には最後の植民地であった香港を失いました。つまり、大英帝国は事実上崩壊したのです。

また戦後の政府の新しい政策は一定の効果はあったと言われていますが、旧態依然とした階級制度や生産設備の老朽化によりイギリスの経済活力は失われ「英国病」、「ヨーロッパの病人」とまで言われ衰退しました。そして1979年、鉄の女と呼ばれたマーガレット・サッチャー新首相が就任します。彼女は戦後国有化された基幹産業の民営化、炭鉱の閉鎖、大ロンドン市の解体、福祉制度の圧縮などの大改革を行います。

この”炭鉱の閉鎖”が英国金管バンド界に多大なる影響を与えたのです。

もともと産業革命時、炭鉱業や紡績業が大きく発展しました。しかし、これらの業種はとにかく単調で重労働、その苦労を少しでも慰安するため(=ストライキなどを事前に防ぐため)、金管バンドは労働者のためにあてがわれ、会社や経営者らのサポートによって運営されていました。

しかし、1981年に211山も稼働していた炭鉱は、政権の施策によって2009年までに6山までその数を減らし、28万人いたとされる鉱山労働者は、2005年には7,000人まで減り、奏者の減少はもとより会社からのスポンサーシップに依存していた多くのバンドに大きなダメージを与えました。

1996年放映(日本では1997年)の映画Brassed Off (邦題:ブラス!)では1990年代、イギリス・ヨークシャー地方のある炭鉱の街を舞台に、サッチャー政権による炭鉱の閉鎖問題、 閉鎖に対するストライキの長期化、そしてその地元のとあるColliery Band (和訳:炭鉱バンド)の存続を織り交ぜた話となっています。(Brassed offとはイングランド北部の言い回しの一つで”怒り”という意味)

このとある炭坑バンドのモデルが、現在チャンピオン・セクション・バンドでもあるGrimethorp Colliery Bandのことで、この「ブラス!」は彼らが当時実際に直面したスポンサーである炭鉱の閉鎖、その出来事のわずか4日後に開催された全英大会での伝説的な優勝をモデルに作られた映画です。

このように大繁栄をした英国金管バンドは戦後の大英帝国の終焉、そして近代化とともにその数を減らし衰退の一途をたどります。(一説によると10,000団体以上存在したバンド数も2018年当時で約1,200団体まで数を減らしました。)

しかしその後奏者、各スポンサー、地域、政治家、様々な方々の尽力で現在までその文化は絶え間なく続いています。次回は#6、200年続く金管バンドの歴史の最終章、またその後は日本の金管バンドやこれまで書いてきた内容について深掘りする内容をお伝えしていこうと思います。

今週もありがとうございました、また次週お会いしましょう。


河野一之 (Kouno Kazuyuki) https://kazuyukikouno.wixsite.com/bassjunkie/biography

洗足学園音楽大学、英国王立ウェールズ音楽歌劇大学院(PGDip)を修了。
Besson アーティスト。Sony Music Stand Up Orchestra チューバ奏者。
Nexus Brass Band、 Riverside British Brass、Immortal Brass Eternally 常任指揮者。 東京ブラスバンド祭マスバンド総括。河野企画代表。日本ブラスバンド指導者協会理事。

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