最終更新日 2023.05.23
みなさんこんにちは、金管バンドディレクターの河野一之(コウノ カズユキ)です。
今週はシンプルに黄金時代というタイトルをつけてみました。何の黄金時代かというともちろん、
19世紀初頭に英国で生まれた金管バンドが産業革命を経てその文化を花開かせ、大発展する時代です。それでは今週もいってみましょう。
ブラスバンドの大衆化と救世軍
1865年(慶応元年)〜
1837年から1901年まで英国王室を統治したヴィクトリア女王、かの女王の統治時代は産業革命も成熟し、当時イギリス帝国の絶頂期でした。そんな絶頂期にブラスバンドも最盛期を迎えたと考えられておいます。
この時代、大英帝国の絶頂と共に当時英国内の人口もどんどん増加しました。それと並行して旅行業も盛んとなり、新たな労働者階級たちも英国沿岸や観光地などへ行き、彼らの貴重な休日を楽しむことができるようになりました。
そうした観光地におけるエンターテイメントの一つがブラスバンドでした。
労働者階級の人々にとって、普段だったら決して触れられる機会のない最新のオペラや有名なオーケストラ作品などがそういった観光地でブラスバンドにより演奏されました。このような需要も後押しし、この時代、英国におけるブラスバンドの数は驚くべきことに10,000~40,000団体ほどあったとさまざまな資料が示しています。当然ながらこの流れは楽器工場や楽譜出版社を大いに潤わせました。
バンドスタンド(Bandstand)と呼ばれる、屋外用の演奏ステージでの演奏
このような19世紀の一連の発展は、ブラスバンドを各地域における独自のアイデンティティーと化し、地域の人々をつなぐ役割を持つようになりました。また人々の生活が発展した反面、アルコール依存症の増加に伴う社会問題に対し、キリスト教プロテスタントの牧師であったウィリアム・ブース(William Booth 1829-1912)が急激な人口の増加に伴い悪化した社会、そこに住まう人々の苦しみ(特にアルコール依存症、犯罪、貧困、失業、人口過密化など)を救済しようと1865年に救世軍を設立。その救世軍の活動をキリスト教の教えと共に広めるためにブラスバンドは使用されました。(この活動は約1世紀半以上たった現在でも、世界中で行われています。)
救世軍について
救世軍とブラスバンド
ト音記号のブラスバンド譜の確立
そして、現代の日本の社会人吹奏楽やブラスバンドのように、価値観が近い人々同士が集まり、活動資金を自分たちで集めながら活動をするバンドや、単純に余暇を楽しむための人たちによって構成されるバンドがこの頃から存在しました。
先述したように、ブラスバンドは地域のコミュニティをはじめさまざまな場面で演奏されるようになっていくようになりその人口を伸ばしましていきました。その中でもとりわけ多かったのが労働者階級(ブルーカラー)の人々です。
産業革命の成熟期である19世紀後半、炭鉱や製糸工場などの重労働業の中、単調な仕事を繰り返し行うストレスの溜まりやすい環境にいた従業員たちの憩いの場として、また彼らにストライキなどを起こされないよう慰安のために経営者たちはブラスバンド活動を後押ししました。
しかし、この時代現代の我々のように誰でも教育を受けられるわけでは決してありませんでした。それゆえ楽譜の読み方、楽器の演奏の仕方が始めからわかる人はもちろんいません。そのような状況の中で音楽活動を息抜きの一つとして提供をしても難しすぎる可能性がありました。そこでブラスバンドです。
ブラスバンドであれば、複数の楽器を要する吹奏楽やオーケストラよりも、金管楽器と打楽器のみで構成され、楽器の取り扱いや演奏自体が容易です。(唇を振動させ数本あるピストンやスライドを動かせれば音が鳴る。また産業革命により管楽器の大量生産が容易になり、丈夫で安価な楽器が増えたというのもある。)
また楽譜の読み方に関しては吹奏楽やオーケストラ譜のようにト音やへ音、アルトやテナー記号といったハ音記号など複数の音部記号で楽譜が書かれていた場合(ドという音の位置が音部によって変わる)、全くの未経験者に指導をする際時間がかかってしまいます。そこで当時、高度な教育を受ける機会が少なかった労働者階級の人々が楽譜の読み方や奏法を教わる際、 全ての楽譜の音部記号を統一した方が指導者と奏者双方にとって効率が良かったので、ブラスバンドの楽譜はト音記号に統一されました。(実際に鳴る音は異なりますが、読み方と運指がほぼ統一されるため。)
そのためこの時より、基本的に金管バンドの楽譜は
Eb管
・Soprano cornet
・Tenor horn
・Eb Bass
Bb管
・Bb Cornet
・Flugel horn
・Baritone horn
・Euphonium
・Trombone(Bass Tromboneを除く)
・Bb Bass
は全てト音記号で表記をされています。
(現代日本では、吹奏楽との互換を考慮してヘ音記号が使用される場合もある)
余談ですが、この楽譜が出来はじめた当時Bass Tromboneだけはヘ音記号の楽譜が使われていました。それは当時のこの楽器の調性がG管やF管だったためです。(初期のBass TromboneはBass Sackbutsという楽器。)。その楽器でB♭やE♭を基準に書かれた楽譜を吹くのは難しかったため、へ音記号で書かれた楽譜が採用され、現在にも残っています。
さて、救世軍や楽譜の記譜法など、少しずつ現代のブラスバンドの通じる事柄が増え、読者のみなさんが普段触れられている音楽や楽譜などとの共通点も見えてきたのではないでしょうか?
次回は#4にしてようやく100年進んだブラスバンドの歴史上初の話、初めてのブラスバンドのためのコンテストピース(吹奏楽でいうコンクール課題曲)が誕生、その名も「労働と愛 / パーシー・フレッチャー (Labour and love / Percy Fletcher 」。
またその後、この歴史期的な出来事に触発されるよう、いまだに世界中で耳にされているような英国の大作曲家によるブラスバンド・オリジナルピース。さらにあの映画にもなったバンドと炭鉱の話など盛りだくさんでお送りしますのでぜひお楽しみに!
今週もありがとうございました。またお会いしましょう。
河野一之 (Kouno Kazuyuki) https://kazuyukikouno.wixsite.com/bassjunkie/biography
洗足学園音楽大学、英国王立ウェールズ音楽歌劇大学院(PGDip)を修了。
日本ブラスバンド指導者協会理事。Sony Music Stand Up Orchestra チューバ奏者。
Nexus Brass Band、 Riverside British Brass、Immortal Brass Eternally 常任指揮者。 東京ブラスバンド祭マスバンド総括。河野企画代表。Besson アーティスト。
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