みなさん、こんにちは。金管バンドディレクターの河野一之(コウノ カズユキ)です。
ここまで21回に渡って英国の金管バンドやコンテスト事情についてご紹介してきた金管バンドナビですが、ここからは日本の金管バンドについてご紹介していきます。
日本における金管バンドが現在の形になったのはここ約半世紀の話ですが、それ以前に金管バンドは日本に伝来していました。我々が普段目にしている日本の金管バンドがどのように伝来し、そして現在の形になったのか、ご紹介させていただきます。
西洋音楽の伝来
幕末〜鎖国〜開国
200年続いた江戸時代(1603~1868)の終わり、鎖国中だった日本では唯一西洋の国としてオランダのみが貿易を許されていました。このオランダ人たちが長崎の出島にて演奏していた音楽が日本における西洋音楽の走りの一つではないかと言われています。
その後1853年、日本史でも有名なペリー提督率いる黒船艦隊が来日し、その際に2組の軍楽隊を引き連れてきました。この軍楽隊による演奏がその後の日本における西洋音楽のきっかけになったと言われています。
その後富国強兵ということで、西洋式の武器や軍隊方式を取り入れていくにつれ軍楽隊も同じように研究をされ、海外の軍人たちの指導のもと本格的に洋式の音楽や楽器の演奏法が広まっていきました。
(注:研究者の方々の研究により歴史は日々様々な新しい発見や新事実の解明が続いています。そのため日本における西洋音楽の最初期、また管楽器の歴史、黒船の軍楽隊の構成などは今後訂正や変更の可能性があります。)
日本救世軍の始まり
金管バンドと密接な関係にある救世軍(The Salvation Army)は1865年にイギリスのロンドンで設立されました。その後日本へ伝道されたのが1895年、同年9月に開催された日本救世軍の集会において金管楽器(コルネットを含む)での演奏が披露されました。下のリンクより当時の写真がご覧いただけます。
その後1907年に救世軍の生みの親であるウィリアム・ブース大将が来日した際に外国人によって編成された救世軍バンドが演奏を行いました。上記リンク先の写真にあるように、現在の金管バンドとはまだ異なる楽器編成ですが、日本の金管バンドの先駆けと言える編成です。
その後救世軍バンドは日本での活動を続けましたが、現在では『ジャパン・スタッフバンド』という名称で活動が続けられています。
第二次世界大戦後の日本金管バンド
第二次世界大戦中、英国の金管バンドも徴兵や軍楽隊への編入などでその奏者人口が減りバンドの数も減らしました(詳しくは過去の記事にて)。日本においては軍楽隊由来の吹奏楽や、オーケストラの文化はありましたがその数も戦争によって激減、さらに徴兵や空襲などにより活動の中止も多くなりました。
その後、戦争が終結すると日本ではアメリカの軍楽隊やスクールバンドの指導法が導入され、吹奏楽が学校教育の部活動を中心に発達し今の形となりました。しかし、木管楽器は金管楽器よりも奏法における種類が多く、楽器の維持にも費用がかかるなどの理由で木管楽器での合奏よりも金管楽器での合奏の方が小学生に合うとされ、さらに指導者の立場からも指導が容易ということで小学校の管楽器教育において金管バンドが使用されるようになりました。
日本初の英国式金管バンドの創立
救世軍による日本での金管楽器の初演奏が1895年、驚くべきことにその後の約80年間、プロアマ問わず英国式の金管バンドは創団されず、救世軍のスタッフバンドか小学校での鼓笛隊の延長線上的バンドしかありませんでした。
しかしその後1972年、元東京藝術大学教授であった故中山冨士雄氏や現日本ブラスバンド指導者協会会長である山本武雄氏をはじめとした職業音楽家や音楽の専門教育を受けた金管楽器奏者らによって、英国式金管バンドの研究と日本での発展のため日本初の英国式金管バンド『東京ブラスソサエティ(Tokyo Brass Society)』が創団されました。
東京ブラスソサエティのメンバーはその後実際に英国に赴き本場での金管バンドの研究や奏者たちとの交流を行いました。その後東京ブラスソサエティとしての演奏はもとより各メンバーが指導者となり日本の金管バンドの礎となっています。
2022年には創団50周年を迎え、今なお定期演奏会の開催やバンドから派生したコルネット・アンサンブル『TBS Cornet Unity』での演奏など、幅広く活動を続けられている歴史あるバンドです。
その後の日本金管バンドの発展
東京ブラスソサエティの創団後、1976年には市民バンド(アマチュア音楽家によるバンド)として日本初の『ザ・バンド・オブ・ザ・ブラックコルト(The Band of The Black Colt)』の誕生を皮切りに、日本における英国式金管バンドはその数を増やしていきます。
また市民バンドの他にも1979年には洗足学園音楽大学が金管バンドを取り入れたり、1981年にはユースバンドとして小・中学生を中心とした奏者を集めた雀宮ユースバンドが発足しました。
ユースバンドについてはこちらから
戦後の小学校における金管バンド教育が発展し、今現在も日本全国でたくさんの小学校バンドは存在していますが、日本の中学校や高校の管楽活動では吹奏楽編成が多い為、小学校以降に金管バンドを続けようと思うと中学校1年生から大人のバンドに入るしかありませんでした。しかし近年では前述の雀宮ユースバンドを筆頭に少しずつ日本各地でユースバンドが設立され、小学校以降の金管バンド活動が可能になってきています。
また以下のツイートでは一般バンドである長野県のブリティッシュ・ブラス・ドルチェが今年新たにユースバンドを設立し、金管バンドへの窓口を増やしています。
日本の金管バンドと題しました今週の金管バンドナビはいかがでしたでしょうか?吹奏楽文化が根強い日本において、英国式金管バンドも吹奏楽と調和しながらも、その特色を色濃く残しながら現在まで続いています。
日本ではまだまだ本格的な英国式金管バンドの文化が始まってたった約半世紀ですが、それゆえたくさんの資料が残っていたり、当時のことをよく知る方々もたくさんいらっしゃいます。ぜひ新しいバンドの演奏会の他にも、そうした歴史あるバンドの演奏会などへも出向かれ、歴史を感じられてはいかがでしょうか?今後もさらに日本金管バンドについてご紹介させていただきますので、ぜひお楽しみにお待ちください。
本日も最後までご覧いただきまして、誠にありがとうございました。また来週お会いしましょう。
河野一之 (Kouno Kazuyuki) https://kazuyukikouno.wixsite.com/bassjunkie/biography
洗足学園音楽大学、英国王立ウェールズ音楽歌劇大学院(PGDip)を修了。
Buffet Crampon Besson並びにMercer & Barker社アーティスト。Sony Music Stand Up Orchestra チューバ奏者。Nexus Brass Band、 Riverside British Brass、Immortal Brass Eternally 常任指揮者。 東京ブラスバンド祭マスバンド総括。河野企画代表。日本ブラスバンド指導者協会理事。