皆さま、こんにちは。
毎日の猛暑に加えて、西日本では7月を待たずに梅雨明けが発表されるという異例の早さに驚いていますが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。
私事ですが、5月に開催された東京佼成ウインドオーケストラの川崎での公演、6月に開催されたシエナ・ウインドオーケストラの水戸での公演で、同一作品の同一パートを違うプロの団体で演奏するという大変珍しい経験をさせていただきました。その作品というのが、フィリップ・スパーク作曲の「ドラゴンの年 2017年版」なのですが、近年全国大会での演奏機会が増えた作品として流行の兆しがみられますので、今回は作曲家のフィリップ・スパーク特集の第1弾として、「ドラゴンの年」を吹奏楽コンクールでの名演を交えながらご紹介しようと思います。

フィリップ・スパークについては、現在エムハチポータルで連載されている 河野一之(コウノ カズユキ)さんの【金管バンドナビ】の記事に詳しく書かれておりますので、是非読んでいただきたいです。「ドラゴンの年」についても書かれており、私はこちらの記事を含む連載を毎回楽しく読ませていただいております。
【金管バンドナビ】#26 金管バンドの作曲家①フィリップ・スパーク
INDEX
ドラゴンの年
フィリップ・スパーク作曲の「ドラゴンの年」は、1984年に英国ウェールズの名門コーリーバンドの委嘱によってブラスバンドの編成で作曲された形が原曲となっており、翌年の1985年に作曲者自身によって吹奏楽の編成に編曲されています。曲のタイトルは、ウェールズのシンボルとも言える赤い竜にちなんでおり、コーリーバンドの創立100周年記念の年という意味になっています。私が「ドラゴンの年」を初めて聴いたのは中学生の時で吹奏楽版の演奏でしたが、この年が2000年の辰年であったために「ドラゴンの年」は「辰年」のことなのだと勘違いしていたことを懐かしく思い出します。
それからも吹奏楽版の「ドラゴンの年」を聴いてこの曲の魅力に取りつかれ始めた高校生の頃、通称「鼻血ドラゴン」と呼ばれているブラスバンドコンテストの名演があることを知ります。それと同時期に吹奏楽コンクール全国大会で東京に遠征した際の自由時間に、当時は吹奏楽コーナーが大変充実していたタワーレコード新宿店に行って「鼻血ドラゴン」のポップを頼りに1枚のCDを購入するのですが、それがコンテストのライヴ録音ではなくてまさかのセッションレコーディング版(コンテストの優勝を記念して録音されたもの)だったことを家に帰ってから知り呆然としました。今となってはこのセッションレコーディング版も貴重なCDなので後悔はないですが、その後再び東京に行った時に今度はCDのジャケットもきっちりと調べてコンテストのライヴ録音を購入できたのも良い思い出です。
この「鼻血ドラゴン」の演奏を初めて聴いた時、想像を遥かに超える熱狂的な演奏にとても興奮してしばらくはこの演奏しか聴けなくなったほどにハマってしまいました。今聴いても魅力的な演奏ですので、ブラスバンド版の名演としてご紹介しておきましょう。
1992年の欧州選手権における、Howard Snell 指揮の Britannia Building Society Band による演奏です。
吹奏楽版初版(1985年版)と2017年版との違いについて
2017年にシエナ・ウインドオーケストラの委嘱で作曲者自身によって新たに編曲が行われ、「ドラゴンの年 2017年版」が生まれました。作曲者自身が言及している2つの版の主な違いとしては、
1.近代的な拡張された打楽器セクションと低音木管楽器群、さらにストリングベースも加え、より国際的な編成を採用。
2.木管楽器のアーティキュレーションなどの改善。
3.作曲者自身が32年の時を経た、作曲スタイルの進化からパッセージなどの変更。
となっていますが、私自身が実際に演奏してスコアを見比べて感じた2つの版の違いについて言及しておきます。
I. トッカータ におけるパッセージの追加
1985年版と2017年版の一番大きな違いとしては、やはり第1楽章のパッセージの追加になるでしょう。1985年版では16分音符を担当する打楽器はほとんどがスネアドラムで金管楽器の16分音符と同一の動きのみでしたが、2017年版では冒頭からスネアドラムに加えてトムトムも一緒に16分音符を演奏しており、いきなりティンパニが金管楽器の16分音符ではない部分に単独で16分音符を演奏したかと思えばトムトムが全く新しいリズムを単独で演奏するなど1985年版には音がなかった部分にパッセージが追加されていて、初めて聴いた時は驚きを通り越して呆然となってしまいました。1985年版では無音の部分での緊張に何とも言えない良さがあったので2017年版を聴いた当初は違和感しかなかったのですが、先日2017年版を初めて演奏すると1985年版とはまた違ったリズミックな快感を感じることができ、どちらの版もそれぞれの良さがあるのだなと思いました。
各楽章のソロ楽器の変更
2017年版では日本のプロ吹奏楽団における標準的な大編成を採用したことにより、1985年版とはソロ楽器が変更になった部分がいくつかあります。一番分かりやすいところだと第2楽章のイングリッシュホルンソロがアルトサクソフォーンソロに変更になったところでしょうか。このソロは儚さを含んだ美しいメロディがイングリッシュホルンの音色にあまりにもぴったりだったのでアルトサクソフォーンでのソロを初めて聴いた時は少し残念な気持ちになってしまいましたが、原曲のブラスバンド版ではトロンボーンソロでお酒の匂いが薫るような雰囲気であることも考えると作曲者がアルトサクソフォーンを選択したことも分かるような気がしました。その他には、ソプラノサクソフォーンが編成に加わったことによってサクソフォーンカルテットで演奏する部分が生まれ、場面による音色の変化がつきやすくなったと感じる反面、他の部分でソプラノサクソフォーンにソロを与えた結果フルートやオーボエのソロが減ってしまって逆に音色の幅が狭くなったのではと感じることもあります。特に1985年版でのフルートの低音域でのパッセージは低音域にしか出せない独特の音色の良さを再確認することができました。使える楽器が増えると音色のパレットは増えて様々な色が出せるようになると思いますが、楽器が制限されていた時代に様々な楽器の音域や組み合わせを駆使して様々な色を出そうとしたことも忘れてほしくはないと思います。
名取交響吹奏楽団 (2013年)
「ドラゴンの年」より
I. トッカータ II. インターリュード III. フィナーレ
作曲:P.スパーク
全日本吹奏楽コンクール
2013年(第61回大会) 金賞
演奏:名取交響吹奏楽団
指揮:楊 鴻泰
「ドラゴンの年」が全国大会で初めて演奏されたのは1990年でしたが、その後1995年に演奏されてから再登場することがなく、「ドラゴンの年」はコンクールにおいては鬼門の曲だと思われていた時代があり実際私もそう思っていました。そのような中で、2013年に名取交響吹奏楽団が「ドラゴンの年」を18年ぶりに全国大会で演奏し、朝一番の出番にも関わらず「ドラゴンの年」での初めての金賞受賞となりました。第1楽章から第3楽章までを抜粋したカットはおそらく指揮者の楊鴻泰さんが考えたものだと思うのですが、このカットの形が現在のコンクールでの2017年版での演奏で若干の変更がありながらも採用されていることを考えると、「ドラゴンの年」のコンクールでの革新的なカットだったのではないでしょうか。
張り詰めた緊張感の中で始まる I. トッカータ《0:00~》はそこまで速くないテンポの中でしっかりとアクセントを効かせており、金管楽器はもちろんですが木管楽器の音圧も素晴らしくてこの曲の演奏のツボをしっかりとおさえています。1楽章が途中で終わり、II. インターリュード《2:09~》のアルトサクソフォーンソロ(1985年版はイングリッシュホルンソロですがアルトサクソフォーンに変更)に繋がっていきます。大人にしか出せない味のある表情豊かなソロから朗々と響くフルートの低音域のソリを経て、全曲の中で一番美しくて感動的な部分がノーカットで演奏され、豪華絢爛なサウンドと音楽の流れが素晴らしいです。III. フィナーレ《5:42~》は大人の確かな技術力に支えられた圧巻の演奏で、ユーフォニアムのデュオなどの各楽器の見せ場が見事な出来で展開されていき、終曲まで勢いがおとろえることなく豪快かつ鮮やかに曲が終わります。
岡山学芸館高等学校 (2021年)
「ドラゴンの年(2017年版)」より
II. インターリュード III. フィナーレ
作曲:P.スパーク
全日本吹奏楽コンクール
2021年(第69回大会) 金賞
演奏:岡山学芸館高等学校吹奏楽部
指揮:中川 重則
2021年は「ドラゴンの年(2017年版)」が全国大会で初めて演奏された年になり、生駒市立生駒中学校と岡山学芸館高校の2校によって演奏されました。実は「ドラゴンの年」が中学・高校の部で演奏されたのはこの年が初めてで、更に両校ともに金賞でしたので中学・高校の部での「ドラゴンの年」の初めての金賞受賞となり、「ドラゴンの年」の様々な初めてが重なった年でもありました。
あまりにも美しくて包み込まれるようなサウンドで II. インターリュード《0:00~》から始まります。イングリッシュホルンの表情豊かなソロ(2017年版はアルトサクソフォーンソロですがイングリッシュホルンに変更)に聴き惚れてしまいますが、そこに絡んでいくファゴットのデュオの音色がとても素晴らしく良い音です。2017年版のサクソフォーンカルテットの美しい部分を経て、繊細な音色が徐々に解放されていってどこまでも耳に痛くないトゥッティサウンドが天から降り注ぐようにホールに響き渡ります。私がスパーク作品に一番必要だと思っている「ノーブル」な演奏を体現してくれていることが何よりも感動です。III. フィナーレ《4:37~》は始まりからとてつもない高速テンポで駆け抜けていき、各ソロやソリを危なげなくさらりとこなしていく技術力の高さに圧倒されるのですが、7:13からギアが上がり、更に7:36からまだアッチェレランドがかかるという驚愕の追い込みで最後まで聴衆を虜にする圧巻の演奏で曲が終わります。
あとがき
いかがでしたでしょうか。フィリップ・スパーク作曲「ドラゴンの年」のコンクールでの名演を交えながらご紹介しました。
次回は、フィリップ・スパーク作曲の吹奏楽コンクールでの人気の作品「宇宙の音楽」をご紹介します。
最後までお読みいただきありがとうございました。また次回お会いしましょう。

塚本 啓理(つかもと けいすけ)
兵庫県出身。12歳より吹奏楽部でクラリネットを始める。
明石市立朝霧中学校、兵庫県立明石北高等学校、東京藝術大学音楽学部器楽科クラリネット専攻を経て、東京藝術大学大学院音楽研究科修士課程を修了。
在学中に東京藝術大学室内楽定期演奏会に出演。
小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクトⅩ「ヘンゼルとグレーテル」、Ⅺ「蝶々夫人」に出演。
これまでにクラリネットを藤井一男、村井祐児、山本正治、伊藤圭の各氏に、室内楽を四戸世紀、三界秀実の各氏に師事。
現在は、フリーランスのクラリネット奏者としてオーケストラや吹奏楽、室内楽の演奏活動をすると共に、後進の指導も精力的に行っている。